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夏の風物詩…棒球?
更新日:2021/09/04
答弁が棒読みだった総理大臣が続投断念!
さすがに驚きました。再選を目指して、
梯子を上った途端に外されちゃった…。
二階用の梯子は使うべきじゃないですね。
さて。いつになく涼しかった印象の今夏。
9月に入り朝夕はより一層涼しさが増し、
我が家でも風鈴が虚しく響いています。
花火、風鈴、盆踊り、海水浴に入道雲。
夏の「風物詩」で頭に浮かぶものには、
今年は殆ど御縁がなかった気がします。
夏と言えばやっぱり甲子園!という人も
おそらく大勢いらっしゃることでしょう。
それほど、国民的人気が高いスポーツです。
先月のオリンピックTOKYO2020大会では、
めでたく悲願?の金メダルに輝きました。
大会参加がたったの6チームだったため
複雑すぎるトーナメントに困惑しましたが、
自国開催、かつオールプロ選手でチームを
編成して何とか、頂点へ辿り着いたのです。
MLBが選手を出さない一方で、NPBは公式戦を
中断してまで主力を送り込みました。しかも、
中軸にもバントさせるなど、勝負に徹する
スモールベースボールを是認する前提です。
金メダル自体は国民として純粋に嬉しいし、
選手の頑張りに水を差すものではありません。
ですが、日本のヤキュウという競技に対する
過剰な扱いには正直ウンザリしています。
五輪の開会式でも往年の元3選手が登場し、
聖火をつなぎました。ホームランで世界の
キングとなった台湾国籍者や、アメリカ
大リーグのワールドシリーズでMVPを
取ったゴジラなら知られるところですが、
「あのヨボヨボしてる人は一体誰なの?」
そんな風に言われているんじゃないかと
少々心配にもなりました。日本国内では
「ミスターの登場には感動しました!」
という盛り気味の街の声を報じてますが、
本当にそうなんだろうか?と私は懐疑的。
昨年はコロナ禍で中止となった甲子園大会。
けれど、それよりも「感染者数」が多い
今年は大会をやりました。五輪開始前は
散々「中止せよ!」と連呼していたのに
その新聞社はしれっと開催を決めたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=vkeJkCmrZYk
しかも、今年のお盆は本当に連日の大雨。
ぐちゃぐちゃの甲子園で試合が行われる中、
各地では大雨警報の発令がひっきりなし。
結局、複数回の中断をはさんだものの、
天候は回復することなく雨天コールドで
敢え無くゲームセット。気の毒過ぎる…。
そこまでして試合をやる必要あるかね?
率直にそのようなことを感じました。
また、翌日の新聞見出しが実に痛い。
「敗者に涙あり、勝者に笑みなし」
って、大喜利のつもりでしょうか。
日本ではメジャーなスポーツと言われます。
幼少期から少年チームに加入するなどして
基礎を身につけ、技術を磨き、鍛錬します。
それこそ、遊びも勉強もそっちのけで。
実力上位の選手が睨む目標は当然ながら
「プロへいくこと」に尽きるでしょう。
動機づけとなる要素は「ヤキュウが好き」、
「目立ちたい」などの控え目なものから、
忽ち「大金を稼ぎたい」へと変貌します。
事実、トッププロの年棒は億単位なので、
魅力を感じるのは当然のことと言えます。
けれど、それだけの内容を伴ってます?
甲子園大会は春と夏に開催されてます。
春は毎日新聞、夏は朝日新聞の主催です。
当然ながら、それぞれが持つテレビ局で
放送はしますけど、同時に公共放送でも
中継を流すのです。おかしくないですか?
たかだか高校スポーツの全国大会なのに
連日テレビの複数チャンネルで同時放送。
視聴率ではぶっちゃけCMが流れない
公共放送の圧勝なのに民法でも報じる。
本当は他局に放映権を売っぱらって
左ウチワでウハウハのハズでしょうに
主催者のプライドなんかな。分からん。
ですが、今年は極端な天候不順で試合の
開始時刻が遅れることもザラ。お昼前に
第1試合が始まった日なんか第4試合は
とっぷり日は暮れてナイターモードに。
さすが甲子園!と言いたいところですが、
公共放送でしか中継してませんでしたよ。
主催者の朝日系TVではバラエティ番組。
巨人戦だったらきっと逆の結果だろうに…
本当に胸クソだな!と感じた出来事でした。
ヤキュウ好きの少年に罪はないと信じたい。
事実、二刀流を引っ提げて太平洋を渡り、
本場で大活躍を続ける選手はまさに天晴れ!
けれど、そこまででもない選手でさえ、
・幼少期より目立っている
・周囲から褒められチヤホヤされる
・稼げるからプロになれと言われる
・結果として横柄な人間に育つ
・服装や装飾品が派手になり易い
・一般常識の欠如に気づきにくい
という特徴があるように感じています。
また、新聞社やテレビ局の関係者だと、
・幼少期より比較的利発である
・勉強がよくできてチヤホヤされる
・いい大学への進学を勧められる
・結果的に他人を蹴落とすよう育つ
・服装や言動がラフになり易い
・一般常識の欠如に気づきにくい
なんか似てますね…ってか似てますよ。
少年チームの試合でも勝つことが最良!
とばかりに弱い投手を滅多打ち。投手が
四球を出そうものならバントと走塁で
かき乱し、どんどん点差が開きます。
いくら投げても終わらない自分の守備回。
それに比べて余裕たっぷりの相手投手は
打てない球をビュンビュン投げてきます。
点差など、縮まるはずがありませんよ。
一時期、日本の少年チームが国際大会で
大活躍したのですが、実はこういうこと。
対戦チームの監督がこう言ったそうです。
「日本は確かに強い。それは認めよう。
けれど、実力差がこれほど違う相手に
我々は決してこんな戦い方をしない」
東洋経済オンラインで見つけた記事です。
https://toyokeizai.net/articles/-/429649
そりゃあ、普通は嫌になるでしょうね。
競技者の裾野が広がらないハズですわ。
事実、小中学校における競技人口は
少子化をはるかに上回るペースで
減っているのだそう。当然ですね。
さすがに酷すぎるとなって、小中学生は
盗塁をやめよう。点差が開いた試合では
手加減しようという議論が始まりました。
でも高校生チームではこれまで通りです。
そして活躍した選手がプロになっていく。
暴力でチームを追われた選手がいます。
原因は、ガキのイジメかと見まがうほど
幼稚な所業。干されるのも当然でしょう。
なのにそれを某チームがあっさりと拾う。
しかも速攻一軍登録して、試合に起用。
球界の盟主を自任し「常に紳士たれ!」
って、アンタ言うだけ番長なんスか?
厳しい制裁を科すこともなく、服装への
指導もそこそこに、金のネックレスを
ぶら下げたまま打席に入り、ホームラン!
それですっかり雲行きが変わりました。
試合を観戦したミスターが大興奮!って、
美談であるかのように報じたのです。
もう、こりゃ何でもアリやな。
暴力沙汰で主力を追い出したチームの
監督は「俺にものすごく責任がある」と
コメントしてましたし、膿を出しきった
つもりかも知れませんが、直りませんよ。
事実、こんなこともあったようですし…。
https://globe.asahi.com/article/14421622
クズの後ろにまた別のクズ。最悪ですねー。
ベースボールが日本に伝わって150年余。
ヤキュウと名を変えて全国各地へ広まり、
数々の名選手とドラマを生み出しました。
(ちなみに中華圏では棒球というらしい)
けれど、そこには新聞社とテレビ業界の
コンテンツを欲する事情があったことは
偽りのない事実です。だからでしょうか。
とても暗鬱な気持ちになってしまうのです。
単純接触効果ともザイアンスの法則とも
呼ばれてますが、繰り返し接することで
好意度や印象が高まることは周知の事実。
ベースボールがアメリカから伝わる。
新聞がヤキュウを頻繁に記事にする。
新聞がよく売れ全国大会を主催する。
試合の様子をテレビで中継し始める。
新聞社をオーナーにプロ球団が出来る。
新聞がますます報じて売上を伸ばす。
テレビでも生中継で全試合を伝える。
毎日見るからと球団のファンが増える。
テレビにとって重要コンテンツになる。
各回の表裏ごとにCMを入れやすく、
視聴率も高いのでスポンサーが増える。
プロ選手が儲かる職業になっていく。
人間の中身より競技能力が幅を利かす。
それでも活躍すれば大きな金が動く。
新聞もテレビも目先のカネに目が眩む。
モラルが見る見るうちに欠如していく。
狭い世界なので自浄作用が働かず、
次第に人気のない競技になっていく。
それでも新聞やテレビで報じ続ける。
こういったことが主たる要因となって、
今の状況を作り出しているのでしょう。
しかもクロスオーナーシップという
新聞とテレビの独特過ぎる関係も
無視できません。相互所有によって
メディアの健全性が保てないという
観点から禁止している国も多いのに
日本では殆どがこの関係にあるため、
上記のサイクルに拍車がかかります。
とはいえ、時間が解決するでしょう。
新聞やテレビを好むのは主に高齢者。
それは、日曜の朝やってるテレビの
スポーツコーナーを見れば明らかです。
毎回コメンテーターが登場しますが、
ヤキュウしか語れないレギュラーに
これまたゲストもヤキュウの関係者。
サッカーW杯やTOKYO2020オリパラを
開催している期間中でさえいつもと
同じようなキャスティングですもの。
知らない競技は解説内容もペラペラで
視聴しているコチラが心配になるほど。
それでも差別的発言以外は問題にも
ならないのだから完全に舐めてます。
高齢者の興味はヤキュウだけみたい。
そういうビジネスモデルなのだと
割り切れば、逆に潔さすら感じます。
新聞は取らない、テレビも観ない、
選挙にも行かない、そんな若者は
社会保障の蚊帳の外。ゆとり教育で
働くスキルが低く、稼ぎは少なく、
結婚ができず、子どもは持てず、
一軒家を建てるなど夢のまた夢。
そのような境遇にある若い世代を
もはや顧客とは見ていないようです。
であれば、いずれは終わっていく。
強固なクロスオーナーシップで
結ばれた新聞とテレビに起因する
ビジネスモデルは近く破綻します。
総務省は先般、平日のネットを使う
時間がテレビの視聴時間を初めて
上回ったと伝えました。って…やっと?
けれど、これはあくまで全年代平均。
年代別にみると、高齢層になるほど
テレビへの依存度はまだ高いみたい。
かつては高視聴率が稼げた国際試合、
WBCも初回ほどの盛り上がりはなく、
オリンピックでも実施競技から
長らく除外され、今回も6チーム。
ほかにはプレミア12って大会も
ありますが開催の目的は資金集め。
これじゃーね。先がありません。
もう立派なマイナースポーツです。
モラルの欠如を省みず、儲かれば
何でもいいという姿勢が見え隠れ。
なので、往年のファンを自認する
高齢者以外からの支持は得にくい。
若者が離れていくのは当然ですね。
あのジイさんにはこの状況にこそ
「喝ー!」と言ってもらいたいよ。
けど、無理でしょうね。残念ながら。
それでも、暴力いじめ騒動に沸く
古巣を尻目に、ベースボールの
本場で大活躍をする選手がいます。
唯一無二の二刀流や甘いマスクも
さることながら、彼の一番の魅力は
その人間性ではないかと思います。
登板のある日でも打席に立てば
バッターとして全集中。走塁時も
全力疾走の上にスライディング!
ケガの危険があるからと監督が
止めてもお構いなしのようです。
根っからの野球少年。金銭面でも
クリーンで、性格上も妙な報道は
とんと耳にしたことがありません。
彼みたいな選手だけを伝えるなら
テレビを観るし、新聞も購読する。
そう考える人は増える気がします。
結局テレビ次第なのかも知れません。
話を甲子園に戻すと、今年の夏の
準々決勝はこんな顔ぶれでした。
京都、福井、島根、和歌山、
高知、奈良、兵庫、滋賀 の8校。
つまり、すべて西日本の代表校です。
パラリンピック報道を差し引いても、
扱われ方が明らかに低下してました。
関東の学校はもう負けちゃったし、
地方大会には興味ないよ!ですか?
で、その後の準決勝はすべて関西勢。
そして決勝戦は同じユニフォーム?
最終的にどっちが優勝したのかも
よく分からないという絵面は確かに
報じる側にとっては魅力薄なのかも
知れませんけど高校生ですからね。
扱う以上はちゃんと伝えて欲しい。
そうでないと、数字が取れるから
コンテンツとして扱っているとの
誹りを躱すことなど出来ません。
新聞・テレビとともに大きくなった
この競技が、新聞・テレビの長年に
わたる独占で、同じように凋落する。
そのような気がします。今のままでは…。
そんな中、たまたま或るDVDを観ました。
『KANO 1931海の向こうの甲子園』、
今から90年前の実話に基づく作品です。
日本統治下にあった台湾の嘉義農林が
甲子園の決勝戦まで勝ち上がる物語。
本編3時間という長さゆえか、はたまた
部員役の少年たちが話す拙い日本語の
聞き取りにくさなのか、私が知る限り、
多分地上波では放映されていないかと。
ですが、とても素晴らしかった。
偽りの多様性が大手を振り過ぎる余り、
もはや何でもアリで、却って息苦しさが
増した感のある現代では新鮮そのものです。
日本人、漢人、蕃人(台湾原住民)を
分け隔てなく指導する監督と、本当に
楽しんで真摯にプレーする部員たち。
守備が上手い日本人、打撃が強い漢人、
足の速い蕃人が各々の持ち味を発揮。
これぞ、真の多様性なのでしょうね。
且つ、勇気、礼節、勤勉、正直さなど、
日本精神(リップンチェンシン)として
今なお台湾で受け継がれている信条も
作中の随所に散りばめられていて、
実に、鑑賞後感のいい作品でした。
こんな感慨に耽られるなら、「風物詩」を
楽しみに次の夏を待てそうな気がします。