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毎年恒例の・・・!(年別: 2022年)
更新日:2022/10/27
今日は年に一度の健康診断です。
きちんと体に悪いところはないかをチェックしてもらい
悪いところは早めにメンテナンスをし
また一年、元気に過ごせるようにしましょう。
「学問のすゝめ」のススメ。(年別: 2022年)
更新日:2022/10/26
誰しも一度は耳にしたことがあるでしょう。
一万円札の肖像で知られる福澤諭吉の名著。
おそらく教科書でも習ったことはありながら、
実際に読んだことがある人は殆どいない。。。
恥ずかしながら、私も長らくその一人でした。
「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」
のフレーズだけを取り上げて、身分の差別なく
人々は皆、平等である!と言った偉い人です…
という勘違いを(意図的に?)助長させるのが
教育現場の実態なのかも知れません。正しくは、
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は
万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)
上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きを
もって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって
衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げを
なさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの
趣意なり。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、
かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、
富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様
雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。
その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、
「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。
されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりて
できるものなり。
と続いていきます。
つまり、人は生まれながらにして平等だけれど、
その人生(結果)は同じではない。勉強した方が
富める暮らし、立派な人になるのですよってこと。
だからこそ「学問のすすめ」なのです。
学校の先生から、この本質を聞いた記憶…
ありませんよね。何でなのでしょうか?
多分、先生も読んでないからだと察します。
150年ほど前の著作ながら、その記述は文語体。
我々が使う現代日本語と比較すると読みにくい。
なので、現代語訳版の本が出てくるのですね。
以下、そこからいくつか引用致します。
~自由とはわがままのことではない~
自由とわがままの境目というのは、
他人の害となることをするかしないか。
自分のお金を使ってすることなら、
酒や女遊びにおぼれてやりたい放題
やっても、自由であるからかまわない、
というように思えるかもしれないけれど
決してそうではない。やりたい放題では
他の人の悪い手本になって、やがては
世の中の空気(風紀)を乱してしまう。
人の教育にも害になるものであるから、
浪費したお金はその人のものであっても、
その罪は許されないのだ。
なるほど。なかなか厳しいが納得します。
また、国のことに関するこんな記述も。
~国家の独立とは何か~
自由独立ということは、個人だけのこと
ではなくて、国においても言えることだ。
この日本はアジアの東の島国であって、
むかしから外国と交わりを結ばなかった。
自国の産物で自給自足していたが、
嘉永年間にアメリカからペリーが来て
外国との交わりがはじまった。
そして今日に至ったわけだ。なお、
開港した後でも「鎖国」や「攘夷」などと
うるさく言っていた者もいるが、
たいへん狭いものの見方であり、諺に
言う「井の中の蛙」のようなものだ。
こういう議論はとるにたらない。
たしかに。ごもっとも。
現代社会においても変化を望まない輩は
少なからずいらっしゃいますからね。
さらに続きます。
日本といっても、西洋諸国といっても、
同じ天地の間にあり、同じ太陽に照らされ、
同じ月を眺めて、海を共にし、空気を共にし、
人情が同じように通い合う人間同士である。
こちらで余っているものは向こうに渡し、
向こうで余っているものはこちらにもらう。
お互いに教え学びあい、恥じることも
いばることもない。お互いに便利に
いいようにし、お互いの幸福を祈る。
まだ序文なのに、ここまで読んで
恥ずかしながら万札を「ユキチ」と
軽々しく読んでいた自分を恥じました。
「これからは福澤先生と呼ぼう!」
遅まきながら、そう心に誓いました。
~ひどい政府は愚かな民が作る~
世の中で学問のない国民ほど哀れで
憎むべきものはない。知恵がないのが
極まると恥を知らなくなる。自分の
無知のゆえに貧乏になり、経済的に
追い込まれたときに、自分の身を
反省せずに金持ちをうらんだり、
はなはだしくなると、集団で乱暴を
するということもある。これは恥知らず
であり、法を恐れない行為である。
西洋のことわざにある「愚かな民の上には
厳しい政府がある」というのはこのことだ。
これは政府が厳しいというより、民が愚か
であることから自ら招いたわざわいである。
愚かな民の上に厳しい政府があるとする
ならば、よい民の上にはよい政府がある、
という理屈になる。今この日本においても
このレベルの人民があるから、
このレベルの政府があるのだ。
とまぁ、本当に切れ味が鋭いのです。
普段思っていることを巧みな言葉で
表現してくれるとスッキリ気持ちいい。
そんな爽快感を味わえます。
ただ文字を読むことで学問と思うなかれ。
「論語読みの論語知らず」、「文字の問屋」、
「メシを食う字引」などと非常に辛辣です。
「私裁」のうちで最も極端で、
政治を最も害するのは暗殺である。
徳川時代に、浅野家の家来が、主人の
敵討ちだといって吉良上野介を殺した。
世にこれを「赤穂の義士」とか「忠臣蔵」と
称するが大間違いである。
年末になるとテレビで目にする名作?も
福澤先生にかかってはボロのチョン。
勿論、その理由も述べられてます。
およそ世の中に、何がうまい商売かって、
税金を払って政府の保護を買うほど
安いものはない。
日常のすべてを自分のカネで賄おうすれば
とても高くつく。水と安全はタダ同然だと
誤認識してる現代人には、考えさせられます。
そもそも文明とは、人間の知恵や徳を
進歩させ、人々が自分自身の主人となって
世間で交わり、お互いに害しあうことなく
それぞれの権理(原文ママ)が十分に
実現され、社会全体の安全と繁栄を
達することである。
西洋人の研究によると男子が生まれる数は
女子よりも多く、男子が22人に対して、
女子が生まれるのは20人だということだ。
とすれば、1人の男が2~3人の女性を娶る
のは、天の道理に背くことが明白である。
ケダモノである。父を同じくし、
母を同じくするものを兄弟と名づけ、
父母と兄弟とが住むところを家と名づける。
しかし、兄弟の父親は同じだけれども、
母親は異なっており、父親ひとりが独立
していて、母親たちがそのまわりで群れを
なすというのは、人類の家といえるのか。
家の定義に反するではないか。
私の目から見れば、これは人の家ではない。
家畜小屋である。妻と妾が同じ家にいて
家の中がよく調和しているなどという話は、
古今にその例を聞かない。
国として、個人としての独立や、
法を守ることの重要性、税金を
正しく納めることが結局は得策。
世の中を正しく健全に保つための
ヒントが随所に鏤められています。
人間のやることには、内側でのことと外に
対してやることの二つの面がある。両方を
きちんとやらなくてはならない。なのに、
いまの学者は、内側一辺倒で、外に対して
やるべきことを知らない人間が多い。
内側にあるものは淵のように深く、
人と接しては飛ぶ鳥のように活発であり、
学問上の緻密さは内に向かって限りなく、
学問活用の広がりは外に向かって際限がない。
こうなって、はじめて真の学者と言えるのだ。
いま、若い学生が酒や異性にもおぼれず、
きちんと生活してちゃんと勉強すれば、
家族や目上の人間にも叱られることなく、
誇らしげになることに思えるけれども、
これはただほかのだらしない学生に比べての
ことにすぎない。きちんと生活し勉強する
のは、人間として当然のこと。ほめるほどの
ことではない。人間の使命としては、
ほかにもっと高いものがなければならない。
う~ん。我々現代人は負けているのかも?
文明が進んだ後の世では、生活保護といった
制度まで出来ましたが、はたして文化的な
日常をもたらしたと言えるのでしょうか。
文明とは、世界中の過去の人々が一体と
なって、いまの世界中の人(我々)に譲り
渡してくれた遺産なのであって、その大きく
広いことは土地や財産とは比べ物にならない。
この恩にどう報いることが出来るのか?
そう考えたときに、今を生きる我々には
文明を進め、後世にそれを残す義務がある。
なので学問が必要なのだと説かれてます。
そう言われると、スッと腹落ちします。
けれど、こういう話が通じない相手も
居たのでしょうね。今も昔も同じかな。
およそ人間には、いろいろな欠点があるもの
だが、人間社会において最大の害があるのが、
「怨望(えんぼう)」である。驕りと勇敢さ、
粗野と率直、頑固と真面目さ、お調子者と
機敏さはペアになっているものであって、
どれもみな場面と、程度と、方向性によって
欠点ともなるし、美点にもなるものだ。
ただ一つ、そもそもの働きにおいて完全に
欠点一色で、どんな場面でもどんな方向性
でも、欠点中の欠点といえるのが怨望である。
怨望は、働き方が陰険で、進んで何かをなす
こともない。他人の様子をみて自分に不平を
いだき、自分のことを反省もせずに他人に
多くを求める。そして、その不平を解消して
満足する方法は、自分に得になることではなく、
他人に害を与えることにある。怨望とは、公共の
利益を犠牲にして私怨をはらすものなのだ。
現代社会でもときどき起こる痛ましい事件は
まさしくコレ。150年も前からこのような
良書が出ているのに、読まれていないとは…。
信じることには偽りが多く、
疑うことには真理が多い。
信じる、疑うということについては、
取捨選択するための判断力が必要です。
学問というのは、この判断力を確立する
ためにあるのだと言われたら信じますか?
それとも偽りだと解釈して、疑いますか?
隣の国の書物を引いて親孝行にも触れてます。
寒い中、氷の上に裸で寝て、体温で氷を解かして
母の欲しがる鯉を捕るとか、真夏の夜に、
自分の体に酒を降りかけ蚊を招き寄せて、
親を蚊から守る(酒より蚊帳を買いなさい!)とか。
真偽のほどは分かりませんが、ネタ的には面白い。
十人に一人が読んだという当時のベストセラー。
もっと早く手に取るべきだったと悔やまれます。
一杯、人、酒を飲み、三杯、酒、人を呑む。
これはもはや、エンタメなのかも知れません。
現在、最初に戻って3回目を読進中です。
【おまけ】
https://www.youtube.com/watch?v=f26lCrGjPAs
設備入替。(年別: 2022年)
更新日:2022/10/15
大阪市港区から移転し35年。
35年間ひっそりとに見守ってくれていたこの設備。
活躍しないのが一番なのですが、いざというときに活躍してくれないと大変なことに・・
とうとう不具合が発生してしまい、新旧入れ替えとなりました。
試運転の立ち合いに行ってきました。(年別: 2022年)
更新日:2022/10/15
近々納品予定の新しい丸ナット用の機械が試運転できる段階に入ったので
愛媛県の方まで立ち会いに行ってきました。
機構などはそのままに電気系が刷新され、シーケンス制御へと移工していました。
カム部分は制御部品ボックスと入れ替わり機械部分がスマートになりました。
操作盤には新たなスイッチが導入され便利なものになっていました。
完成はまだですができあがったことを考えるととても楽しみです。
国騒。(年別: 2022年)
更新日:2022/09/28
昨日、安倍元総理の国葬儀が執り行われました。
全費用を国で負担することへの賛否があるのは
承知していますが、たかだか約16億円のこと。
一家4人でも52円程度でそこまで騒ぎますか?
「国葬の法的な根拠がない」とか、
「国会を通さず軽視している」とか、
「弔意の強制は許されない!」とか。
滅茶苦茶な論理がまかり通ってて呆れます。
内閣は行政府です。それが閣議で決めました。
立法府たる国会と、司法を預かる裁判所。
立法と司法以外はすべて行政の権能ですから、
本当は全く法的な問題がない。それが証拠に
日本弁護士連合会は何ら声明を出してません。
あの何にでもかみつく日弁連がダンマリです。
(つまりは反論するだけの法的根拠がない!)
そのことはよくよく認識されるべきでしょう。
ギャーギャー騒ぐ野党議員はもしかすると
国会が立法府であることを知らないのかも?
元々法律を作ろうという義務感も能力もなく、
与党の足を引っ張ることだけに終始する人々。
メディア向けパフォーマンスの機会を失い、
嫌がらせをしているだけに思えてなりません。
閣僚がどの国際会議へ参加するかとか、
その場でいくらの資金を拠出するかとか、
我々は結構頻繁に目にしてると思います。
先月の第8回TICAD(アフリカ開発会議)では
今後3年間で総額300億ドル(約4兆円)規模の
経済支援を行うと岸田総理は表明しました。
3年とはいえ一家4人で約13万円という金額。
コッチはまったくスルーしてていいの?
「十分な説明がない」という声もあります。
それに対して、政府は「丁寧な説明」を
心がけようとしていますが、全く無意味。
マスコミに煽られ「まだ足りない!」との
方向へ持っていかれるのが目に見えてます。
まるで隣国からしつこく謝罪を求められて、
その必要がないのに一度謝ったが最後、
何度も何度もお代わりを要求されるが如き。
もしや、ソッチの人たちが主導してるのか?
と訝りたくもなります。ここは日本ですよ!
村八分(むらはちぶ)という言葉があります。
掟や慣習を破った者に課される制裁なので、
あんまり良いイメージはありませんけど、
断絶した関係でも火事消火と葬式だけは別。
木造家屋中心の日本で火災は本当に一大事。
村人総出で対応にあたるのも当然でしょう。
そして死んでしまえば仏様。いくら生前に
厄介ごとの多かった者でも、葬式を出し、
手を合わせて見送る。それが日本人です。
日本古来の感覚とはそういうものなのです。
ましてや安倍元総理は暗殺されました。
昼日中の銃撃が暗殺というのも妙ですが、
これがテロでなくて何なのでしょうか?
しかも元内閣総理大臣による選挙中の
応援演説ですもの。それだけでもう十分。
「安倍氏を国葬儀で送らないとするなら、
我が国はテロに屈する国だという誤った
メッセージを発することになってしまう」
これこそ岸田総理が言うべき「説明」です。
十分とか丁寧とか回数とかの問題ではない。
本質を外さずに正しく言うべきことを言う。
それに尽きるでしょう。他言は無用です。
宗教団体との関係から犯人も被害者、
撃たれる方にもその理由があるとか、
政治と宗教は分離されねばならぬとか、
膿は出しきるべきだとか、妙な方向へ
論点がスライドされている気がします。
つーか、犯人がペラペラと喋った内容を
まことしやかに信じるバカがどこにいる?
それこそ、テロリストの思う壺ですから。
関西〇コンの疑惑が消えない参院議員。
彼女を仮に銃撃でもしようものなら、
テレビも新聞も大騒ぎするでしょう。
また、その所属政党とR会との関係は
微塵も伝えませんし、与党であっても
長年にわたり国交大臣ポストを牛耳る
K党とS学会の関係にも沈黙しています。
結局のところ、マスコミの偏向報道。
それによって世論は作られるのです。
テレビ、新聞、高齢者、固定電話調査。
まさに偏向世論形成工作の実態です。
一般献花には多くの人々が訪れてました。
九段坂公園へのアクセスは最寄り駅でなく
およそ1.4km離れた駅とのこと。普通なら
徒歩で約20分の距離ですが、献花場所とは
反対方向へ人は流れていきます。なんと!
行列の最後尾へと移動する人の列でした。
途中で献花を買い求めるための行列を
横目に見ながら多くの人が並びました。
(目的地まで最短距離では近づけず)
いくつも設けられる折り返し地点、
30℃に迫る気温、トイレのない不安、
沿道でビラを配る年配女性たちの圧、
一体どれだけ並ぶことになるのだろう?
それでも文句を言う声は聞こえません。
やはり大和西大寺駅での献花行列と同様、
若い人が多い。なのに報道のカメラは
年配者を選んでインタビューしてました。
滝廉太郎居住地跡近くで迂回しながら
ようやく辿り着いた墓苑入口を南下し、
英国大使館を横目に最高裁判所を通過。
三宅坂で折り返して千鳥ヶ淵公園へ。
結局、11時から並ぶこと2時間半ほどで
手荷物検査の場所へと辿り着きました。
カバンを開いて中身を見せ、飲み物が
ある場合は一口飲むように指示される。
インド大使館が見えてきたと思ったら、
その後まもなく献花の用意を促され、
歩きつつ紙袋から取り出したその瞬間、
一気に視界が開け、多数の内閣府職員と
報道関係者、2つの献花台が目の前に。
くしくも間近に迫る日本武道館での
国葬儀が始まる時刻の少し前でした。
献花を終えた人の多くは道を渡って
靖国神社へと向かってるようです。
参道を通って拝殿に歩みを進めると
そこにも多くの行列がありました。
列に加わり待つこと暫し…。ドーン!
どこからか空砲を撃つ音を耳にして、
これが弔砲か…と聞き入りました。
参拝を終えて駅に向かっていると、
次第に大きくなるデモ隊の奇声。
国葬儀に反対する人、その抗議に
反対する人、何故か反原発の連中、
アベガーを支持するメディア関係者、
彼らの誰とも相容れない右翼街宣車、
そしてこのカオスな状況を熱心に
中継している海外のプレスなどなど。
言論の自由があるのは素晴らしい。
けれど「弔意の強制」などないし、
弔意を示したい人を邪魔する行為は
「内心の自由」に抵触するのでは?
と愚劣な行いを咎めたくもなります。
多くの人は些細なことでは騒ぎません。
それは相手にも立場や訳があるからと
事情を慮るがため。それが日本人です。
けれど、忖度が通じない人もいます。
「下手に出てりゃ付け上がりやがって」
というフレーズは久しく聞いてませんが、
それに近い状況が実際に起きてました。
多数派日本人とは大きく異なる価値観。
安倍元総理が闘ったコンナヒトタチ!
旧統〇教会がカルト宗教だという事実は
広く知られるところですが、本質的に
日本人の贖罪意識に働きかけることで、
財産を巻き上げて北へと送るスキーム。
日本人が不幸になることを防ぐため、
霊感商法の被害者救済を目指した人こそ
安倍晋三元総理だというのが真実です。
拉致被害者の奪還は全く道半ばですし、
この原稿を書いている最中にも北から
弾道ミサイル?が発射されたという
速報が入りました。今年だけで20回目!
テレビ、新聞、学者、ジャーナリスト、
国会議員などにもスパイが入り込み、
日本や国民のためにならないことが
大きく取り上げられている昨今ですが、
彼らには日本国の弱体化を図ることで
隷属させようという大目的があります。
これはC国もK国も同じです。しかも、
その矢面で闘った御仁はもういません。
アベガーたちは国葬儀の終了とともに
「安倍ロスで死んじゃうんじゃ?」と
茶化されてますけど、なんのなんの。
そんな玉じゃない。コンナヒトタチは。
困らないことなら放っておけばいい。
けれど厄介案件なら騒ぐ必要がある。
期待と責任を一身に背負いながら、
コンナヒトタチと闘っていた安倍さん。
一連の行事が終了したこれから先も
「アベ政治を許さない!」と叫ぶなら、
それは日本人ではない。敵性人物だと
国を挙げて、大騒ぎするべきでしょう。
(当日の現場で体感した印象からして)
国葬賛成の人は全然少なくないですから。
~追 記~
自民党の麻生太郎副総裁が福岡市での講演で、
賛否が割れた安倍晋三元総理の国葬について、
「色々な話がわんわん出ていたが、何時間も
かけてずっと若い人なんかが並んで立っている。
それが国葬の現場だ」
「その人たちの声が何故、新聞やらマスコミには
載らんのですか?」
「強制されたわけでもなんでもない。あれだけ
多くの人が夜まで並んでいる状況を見て、
何とも言えない気持ちになった」と語ったそう。
まさに反安倍一色のオールドメディアに対し、
長時間であっても黙々と列に並ぶことを通じて
静かな(しかし熱い信念をもって)抵抗を示した
人が多かったように思います。誰かが言った、
「それも含めて安倍さんへの供養だと思います」
この言葉に、すべてが表されている気がしました。
お取引様が来社されました(年別: 2022年)
更新日:2022/09/28
今回は外注監査でのご来社になりました。
これも少しづつコロナ禍の規制が緩んできた証かもわかりません。
製品や機械についていろいろご質問を頂き、無事終了することが出来ました。
今後も安心でより良い製品をお届け出来るよう、社員一丸となって務めてまいります。
癒しを求めて・・・(年別: 2022年)
更新日:2022/09/27
約1年前に海遊館で産まれたワモンアザラシの赤ちゃん。
人工保育で育てられて、成長の様子がSNSでもアップされて
可愛い姿が話題になっていました。
生後約5ヶ月くらいの時に会いに行きましたが、
なんとも可愛いくてずっと見ていられる!というくらいでした。
そして先日、会いに行ってみると
立派に成長していました。
可愛らしさはそのままですが、
どこか哀愁漂う感じにもなったような?
それでも癒しを貰った休みの日でした(^^)
秋の厄介者(年別: 2022年)
更新日:2022/09/08
マスク生活での暑い夏が過ぎ、
毎日のように台風発生のニュースを耳にする季節となりました。
『台風』と聞くと2019年の21号が頭をよぎり、
それまでになかったような恐怖を感じます。
その傍らでは朝夕めっきり涼しくなり
虫の声を聴いてほっとする自分がいますが
まだまだ台風もこれから!ベランダは?懐中電灯は?水は?と
確認と見直しが必要だと感じました。
新10tトラック納車!(年別: 2022年)
更新日:2022/08/26
約10年間乗っていた10t車の入替をしました。
最近は修理に出すことも度々ありましたが、
走行距離33万キロとたくさん頑張ってくれました。
トラックの顔も格好良くなり、車体もピカピカ!
コスパも良くなり嬉しい限りです。
今後も安全にお客様の納品にお伺いします!
祝! 行動制限のない夏。(年別: 2022年)
更新日:2022/08/17
昨夜、京都五山送り火が営まれました。
フルスペックでの実施は実に3年振り。
関西に暮らしている人なら、何となく
(もちろん報道を通じてのものですが)
この五山送り火を見ないうちはお盆も
終わった気がしないんじゃないかな…。
少なくとも私は、そう考える派です。
新型コロナとの付き合いも2年半余り。
もはや、何が新型なのかも不明ながら、
未だに毎日「感染者」の数を報じてる。
肺炎を引き起こすのが怖かったので、
当初は用心していたこの病気ですが、
オミクロン株の出現で一変しました。
症状も風邪と見分けがつきにくい?
それって、風邪なんじゃないの?
おそらく3年前ならそう考えたハズ。
我々はインフルエンザの流行下でも
ワクチン接種は個人の裁量であり、
費用は専ら自己負担でしたからね。
けど、肺炎にはなりたくないから…
と身銭を切って接種してたんですよ。
まれにしか肺炎にならない「風邪」なら
(万病のもとなので油断は禁物ですが)
上気道の症状だけなので耐えられる?
実は、オミクロン型はコッチなのです。
だから、行動制限は発出されないし、
症状があっても軽いから往来するし、
無料PCR検査があるせいで捕捉される。
結果的に、医者も看護師も隔離され、
「医療崩壊」に至るという悪循環。
いつまでこんなことをやるんだろ?
今月初めには、軽症者は自宅で待機を!
と感染症学会が記者会見で言ってたっけ。
体調悪いのに病院行っちゃいけないのか!
医師法の応召義務違反なんじゃないの?
余りに酷いテキトーぶりに国民も呆れ、
制限ないなら自由に外出するし、仮に
症状があっても軽ければ放っておく。
(検査で陽性だと何かと面倒なので、)
容体悪化で医者が検査する以外は放置。
そう変化してきているように思います。
お陰で、自由に出かけられていますよ。
同様に考える人も多いのか、行楽地は
結構な賑わい。しかも外国人が少ない!
遠出するなら今がチャンスか…と思い、
お盆休みに少し足を延ばしてきました。
前から行きたかった、白米千枚田です。
よく見ると、安倍元総理夫人のお名前!
すぐ近くに某政治家の田んぼもあるけど
若干狭小だったので武士の情けで伏せます。
N〇Kのブ〇タ〇リでも紹介してましたが、
年に数センチずつ海側へ滑ってるらしく
いずれこの光景が見られなくなるかも?
と少なからず心配になります。何とかして
この素晴らしい景観を次世代へ残そうと
尽力されている人々がいらっしゃるので
出来るだけの応援をしたいと思います。
景観だけではありません。人だってそう。
そもそもお会いできる機会自体稀ですし、
人には、悲しいかな…寿命があります。
それなのに、行動制限されるばかりでは
何もできずに自分の寿命も尽き果てます。
近く、この病気の感染法に基づく分類を
見直し、2類(という名の1類以上)から
5類にすることも検討されるようですが、
なかなかハードルは高そうな感じですね。
5類に落とせばインフルエンザ並なので、
「感染者」の全数把握も必要がなくなり、
医療崩壊の懸念は相当薄くなるでしょう。
その反面、治療費を国費で賄うことも
なくなるため、この病気で潤っていた
関係者等が少なからず抵抗するだろうと
十分考えられます…ってか、今がそう。
欧米各国では、殆どの人々がマスクなし。
おそらく彼らは手洗いもしていないハズ。
それでも日常生活に支障はないようです。
翻って日本はどうでしょうか。今なお、
何処へ行ってもマスクと消毒は必須。
ワクチン打ってりゃイイんじゃないの?
と思わなくもないですが、結局のところ
…感染症法に基づく分類。
コレを弱めることで長かった騒動も終息。
何とかそれを遠ざけたい特別な人々との
最後の攻防をやってるようにも思えます。
なので、行きたいところへ行くし、
会いたい人がいれば会いに行く。
バーチャルの便利さも分かりますが、
やはり、リアルに勝るものなし。
そのことを強く実感した令和4年の夏です。